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この祭礼の起源は、清和天皇の大嘗会にさかのぼると
言われています。
その悠紀斎田に選ばれたのがこの一帯でした。
貞観元年(859年)に行われた御田植の儀式は、
地元の豊年祭として毎年行われるようになり、
その太鼓の音色から”てんてこ祭”と呼ばれるようになりました。
*大嘗会*
天皇の即位後初めて実った米を神々に供える祭。 |
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祭礼の行列は在の中を巡幸し八幡神社へと向かいます。
赤装束を着けた厄年の男性の腰には
大根とカブで作られた男根がくくりつけられています。
太鼓の音にあわせて腰を振り男根を揺らす格好は
とてもユーモラスです。
古代、「食物が繁殖するのは、人間の営みの行為によるもの」
と考えらていていました。
男根はその古代思想の表れであり、豊作への祈り、
作柄への期待をたくましい男根に託してきたと考えられています。 |
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行列は6人で行われます。
前厄の25歳の3人は、
小締太鼓を持つ者、飯びつを担ぐ者、
神酒樽となますと生魚を担う者で構成されています。
後の3人は竹箒を持つ役であり、これは42歳の厄男が
担当します。 |
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境内では「てんてこ」が舞われます。
狛犬を3回まわります。 |
撮影:PENTAX K10D K20D 10-20mm 18-200mm |
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境内に積まれた藁灰の山をが撒き散らされます。
これは田作りに欠かせない施肥の作業を
真似たものと言われています。
この灰をかぶると厄除け、病除けになるそうです。 |
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